以下は、朝日新聞デジタル(2018年6月18日)からの引用です。
「司法試験予備試験に出題ミスがあった問題で法務省は18日、ミスのあった問題を選んだ受験者を全員正解扱いにすると発表した。
この結果、14日の合格発表時点で不合格だった49人が追加合格となり、合格者数は2661人となった。
試験は5月20日に実施され、42問から20問を選んで答える一般教養科目の1問に正解がない問題があった。
予備試験に合格すれば、法科大学院を修了しなくても、司法試験の受験資格を得られる。
今年は1万1136人が受験した。」
今は、短答式試験の正解だとか、論文式試験の出題趣旨だとか、口述試験の問題のテーマだとかが公表されるようになったので、こういうことが、起きるのですね↓
http://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/jinji07_00229.html
我々の時代は、全てがブラックボックスで、確か、短答式試験については、問題を持ち帰ることすらできず、予備校が、問題を暗記するためのアルバイト君に受験させて、問題を把握していたと思いますし、論文試験も、総合と各科目毎のA〜Gまでの7段階の評価がわかるだけで、出題趣旨なんてものは一切公表されず、要するところ、自分で正解を導き出せる能力を身につけた人が合格する、という感じでした。
その様な状況の中で、受験生は、みんな暗中模索になる訳ですが、予備校の弊害というのは、予備校は、合格者を含めたA評価の人の再現答案をかき集めて、それらを全部詰め込んだ最大公約数的な答案を作成して、「これが合格答案だ」というので、それを真に受けた受験生は、それを丸暗記して、論文式試験に臨むことになります。
ですので、問題の意図にマッチしない自分の知識を、ただただ吐き出すような答案になりがちですし、不合格となると、自分の知識が足りなかったんだということで、それを補うため、更に知識の幅を広げようと、司法試験委員の書いた論文などに手をだして、丸暗記しようとして、ますます泥沼にはまる訳です。
本当は、最大公約数的な答案ではなく、最小公倍数的な答案で充分、自分がわからない論点は、大多数の人にもわからない筈と割り切って、法律と常識に照らして、自分の頭で考えて、結論とその理由がそれなりに書ければ、それで良いのだと思いますし、その前提となる法律の枠組みという幹となる部分を、しっかりと理解することの方が、大切なのではないかと思います。
司法試験に合格して、司法修習生になってから、修習生同士で、真面目な話をすることもありましたが、知識偏重だと感じる人もいる一方、若くして合格した人ほど、そうではないように感じました。
昔も今も、求められていることは、変わらないのではないかと思います。
ただ、「長年の受験生活を経て、司法試験に合格した人の方が、徳を積んでいるので、実務家として良くできる」というような話を聞くこともありますし、実務家にとって、知識が多いことが、マイナスになるということは、一切ないと思います。
結局、予備校の弊害というのは、予備校の受験指導を真に受けて、不幸にして、迷路から出られなくなって、司法試験に合格できずに、法曹になることを諦めてしまった方々にとっての弊害、でしかないように思います。
勿論、それ自体も、国家的損失ではあるのでしょうが、だからと言って、法科大学院制度にすれば、全て解決という訳ではないと思いますし、勿論、一定の能力に達していなくても、合格することを認めるという訳には行かないと思います。
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