以下は、毎日jp(2012年12月26日)からの引用です。
「最高裁の司法研修所は26日、DNA型鑑定など科学的証拠を刑事裁判で扱う注意点について研究報告書をまとめた。
科学的証拠は客観性を高める効果がある一方、被告と犯人を結びつける決定打にはならないと指摘。
「科学万能」という過度の思い込みが公正な評価をゆがめる危険性があり、他の証拠との総合評価が必要とした。
報告書では、科学的証拠は自白依存傾向を回避できるとしつつ「状況証拠の一つに過ぎない」と指摘。
DNA型鑑定については、遺留品の付着状況や関係者の供述など他の証拠と併せて初めて「被告が犯人かどうかを検討できる」と位置づけた。
仮に裁判員裁判で科学的証拠の信頼性が争点となった場合には、公判に出す専門知識を必要最低限に絞り、平易にかみ砕くべきだと指摘した。
具体的には、検察官と弁護人は証拠の役割と限界を意識した上で主張し、裁判員が疑問を整理する時間など余裕ある審理時間の確保も必要とした。
一方で、現在のDNA型鑑定を「個人識別能力が既に究極の域に達している」と評価。
今後はさらに精度を上げるよりも、適切な保管など「正しい鑑定」が求められるとした。
研究は、DNA型鑑定への過度の評価が誤判を招いたと指摘された足利事件の再審無罪などを教訓に、裁判官3人とDNA型鑑定の専門家1人が10年から行ってきた。
◇「証拠収集はさまざまな角度で」専門家
DNA型鑑定を巡っては専門家にも慎重な取り扱いを求める声がある。
関西医科大の赤根敦教授(法医学)は現在の精度の高さを認めつつ「捜査当局が鑑定結果だけに頼るのは問題。
証拠収集はさまざまな角度から行われるべきだ」と注文する。
赤根教授は「鑑定書の表現にも注意が必要」と言う。
吸い殻の例では、結論として「犯行時かその前後に現場にいた可能性が高い」とも「犯行現場にいたのは確かだが、犯行時かどうか確実には分からない」とも表現できるため、「結論の表現に惑わされてはならない」と注意を促した。」
足利事件は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
東電OL殺人事件は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
いずれも、捜査当時のDNA鑑定の精度の低さが招いた冤罪事件ではありました。
しかし、どちらの事件でも、複数の目撃証言(足利事件)やDNA鑑定(東電OL殺人事件)により、他の第三者が真犯人である可能性も否定できなかったのに、その方向での捜査が尽くされていないように思います。
しかも、更に共通するのは、その後、より精度の高いDNA鑑定の手法が開発されているのにもかかわらず、警察・検察が、それを行わなかったことにより、いたずらに年月を重ねてしまったことです。
例えば、たばこの吸い殻などは、簡単にすり替えることができます↓
http://morikoshisoshiro.seesaa.net/article/284175238.html
被疑者のたばこの吸い殻を入手することも、極めて容易です↓
http://morikoshisoshiro.seesaa.net/article/309811460.html
他の証拠との総合評価が必要であることも、適切な保管など「正しい鑑定」が求められることも、当然のことで、これを今更報告書としてまとめなければならないこと自体、情けない話です。
札幌弁護士会所属弁護士森越壮史郎法律事務所ホームページ